可愛いあなた

「私たちは繁殖している」(内田春菊)の中に、赤ん坊を見て若い女性が「カワイ〜」と言うのはただの「お約束」で、実際はそんな風に感じてはいないだろう、というくだりがある。
そうかも知れないな、と思う。というより、そうなのではないかという疑問はずっと持っていた。
自分が子供を産んでから急に赤ん坊が可愛く感じられるようになったという女性は多いと聞く。パーセンテージは知らないが、女性=赤ん坊好きとは一概には言えないようだ。
かくいう私は(男でっせ)、赤ん坊が可愛いと思うかと言われれば、そう思わないでもないがさして興味はない、といったところ。そばに赤ん坊がいてもわざわざ見に行くことはまずない。


「可愛い」という言葉が私には謎だ。
赤ん坊の頃にそう言われたことはあるのだろうけれど、当然記憶にはない。そう言われて「嬉しい」という感覚もわからない。自分ではまず(褒め言葉としては)口にしない。女性が鼻に掛かった声、あるいは甲高い声で「カワイ〜」と言う様も好きではない。無論言うのは勝手である。好きではないといっても「よろしかったでしょうか」の千分の一程度の違和感だ。私を可愛いと思うなら、そう言ってくれてもいい。


犬を飼っていたことがある。16年生きた。我が家に来たのは確か私が5歳の頃。はっきりした主従関係にはならない。有り体に言えば「なめられる」。父の言うことは聞くが私の言うことはあまり聞かない。
やたらと腹を壊すくせに小屋の周りでは一切用を足さず、もよおすと昼夜問わず泣き叫ぶ。眠い目をこすり短い散歩に出る。咬癖があり家族以外に懐かないため、人に預けるわけにも行かず家族旅行はしない。私にとって「動物を飼う」という体験はそういうものだった。
奇妙なことに、その犬を人から「カワイ〜」と言われると、むかつくのである。それも、犬を侮辱された気がして、あるいは諸々の葛藤の積み重ねを軽く見られた気がしてむかつくのである。
うかつに近付いて吠え立てられるのを見るとザマアミロと思う。よくやったぞ団十郎(仮名)とさえ思う。これでも可愛いと思うなら言うてみい。


ということに起因しているのかどうかはわからないが、「可愛い」という感覚はあっても、これが褒め言葉とはどうしても思えない。ではどう言えばいいのだろう。