長谷川豊のごまかし

彼の人工透析患者を中傷するひどいブログ記事がネットで話題だ。
Blogosからは削除されたが、自分のブログ本館では弁明にいそしんでいる。
今回の「炎上」についてこんな言い分。

私は、炎上ってとても素晴らしいものだと思っています。
だって拡散できるのだから。
私はネットに全然詳しくないし、拡散とかよく分からないし。
でも、一人でも多くの人に知ってほしいのです。一人でも多くの方々に考えてほしいのです。
その為には…これはもう何度も何度も同じことを書いてきているのだけれど…「ハセガワという極論を言うバカ」を叩いてスカッとしながらでも全然いいのです。

こういう「肝の据わった大物アピール」に納得してしまう輩もいるのだろうが、ごまかされちゃいけない。
上の文には、「炎上」の中身を思いっ切り矮小化しているというトリックがある。
重要なのは、長谷川豊の言葉が多くの人を
「傷付けた」ということ、
「不快にさせた」ということ、
「怒らせた」ということ。
百歩譲ってそれが「誤読」によるものであったとしても、人を傷付けたという事実は変わらない。
それを「ハセガワが嫌われる」という現象の陰に隠し、「俺が叩かれることで世界が変わればスバラシイ」と、まるで滅私奉公をしていると言わんばかり。
一口に炎上といってもその中身は様々だ。
それを十把一絡げに肯定するのは、「世の中全体が変わるなら、一部の人の心を傷付けても許される」という全体主義を肯定する発想にほかならない。
ごまかすな卑怯者。