“ひろゆき”に丸め込まれる人達

西村博之氏がテレビ番組で「2ちゃんねるが犯罪の温床になっていることに責任を感じるか」と問われ「携帯電話が犯罪に使われているのをどう思うかとドコモに聞くのと同じ」と返したのが話題になっているようだ。
一見正論のようだが、私は強烈な違和感を覚えた。それ以上に彼の人間性に嫌悪感も覚えたが、それはさておく。
何年か前にも「包丁で殺人が起きたからといって包丁をなくせという理屈にはならない」と、同じようなことを言っていた。今回の言葉も表現をちょっと変えただけのことで、別段新鮮ということもない。


要するに「ツールにケチをつけてどうする」と彼は言っているわけだが、ごまかしだ。
携帯電話はツールそのものだが、2ちゃんねるはツールであると同時にコミュニティでもありコンテンツでもある。そしてコミュニティにはルール付けができ、コンテンツは管理者の手によって編集(削除)可能。携帯電話とはそこが決定的に違う。
つまり彼はたとえ話によって本質をあぶり出すのではなく、むしろ本質を覆い隠したわけだ。


そもそも「ツールだから関係ない」という理屈が通らないことは、既に数々の裁判で示されているではないか。中傷を野放しにしたことで被害を拡大させたという判断から賠償命令が何度も下りている。
つまり西村氏はとうの昔に司法に否定された言い分を臆面もなく披露したわけだ。その司法の判断に異を唱えるでもなく。


そんないい加減な理屈にあっさり丸め込まれて喝采する連中も情けないし、なによりも数々のネット被害に対して「知ったこっちゃない」と言わんばかりの薄ら笑いで受け流すような人間がもてはやされる風潮に慄然とする。