2ちゃんねるとの類似点

2ちゃんねる関連の新しい記事はZAKZAKの「2ちゃんねる断末魔、お粗末抗弁…ひろゆき勘違い問答」という攻撃性だけが目立つ中身の薄いものしかないので私もネタがない。
だから、というわけでもないが、一応は掲示板を長く持っている者として思うところを書いてみようと思う。

ジャンボ鶴田のショルダースルー

私の運営するプロレスサイト。今ではすっかり閑古鳥が鳴きお恥ずかしい限りだが、かつてはそこそこ名の知れたサイトだった。本当だってば!
10スレッド表示できる掲示板だったが、スレッドの流れが速すぎて「偶数日用」「奇数日用」の2枚を用意したくらいだから、なかなかの活況だったと言っていいと思う。カクリヤ(と多分同一人物)も来たよん。
ルールは一切作らなかった。理由はこう。

  1. ホスト(私)がゲストにあれするな、これするな、なんて前もって釘を刺すなんて野暮だし失礼じゃん
  2. 書いていいことと悪いことくらい自分で考えりゃいいじゃん
  3. 揉めたら話し合えばいいじゃん
  4. 荒らしはいじってあげましょう
  5. “管理”するの面倒

実際揉め事は起きた。罵り合いさながらになったこともある。それでも削除はしなかった。言い合いをやめろとも言わなかった。言いたい言葉を飲み込んでもらって上辺の平穏を得るよりも、たとえ泥沼化しても物別れになっても、言いたいことを言い尽くしてもらいたかった。
人が集えばいざこざが起きるのは当たり前。いざこざを起こさないことよりも、いざこざの解決に、ひとりひとりがどう取り組むかが大事なのではないか。と、そんな青臭いことを考えてのことだった。
活況といってもその規模は知れたもの。そうでなければ、こんなきれい事は通用しなかっただろう。どの程度の規模かというと、多い時で常連20〜25人くらいかな? そんな程度です。長文OKなのでオアシスとはだいぶ毛色が違っていた。
幸い犯罪まがいの投稿もなく、強権発動!という機会はついぞ訪れなかった。
そのうち私がなんとなく楽しくなくなって掲示板を閉めた。思えばあれが最初で最後の強権発動。その後形の上では復活したが投稿は年に数件トホホ。

オアシス

歴史は私の掲示板より半年くらい古い。開設当時は私も参加していた。かなり楽しかったが3〜4回削除食らって以来投稿するのやめた。おいおい。
その後も管理者氏とはチャットで話したりまあ良好な関係ではあったけど、削除ラインを気にしながら書くのが面倒になって、掲示板への書き込みはしなくなった。

管理姿勢の差異

管理者氏はプロレス談義をする分にはとても好感の持てる人だけど、運営のスタンスには殆ど共感できないんだなあ。一番顕著なのが「掟」と題された掲示板のルール。「○○な人は来ないで下さい」のオンパレードなの。はっきり言ってあれは失礼。そして野暮。(そう思うなら参加しなきゃいいだけの話で、私が参加しない理由のひとつでもある。)
私は基本的に「ようこそ」以外のことは言いたくない。取り決めを作るなら「ご協力下さい」というスタンスを取りたい。だって、自分の家を訪ねて来てくれた客に、いきなり「○○するなよ」なんて言ったらバカでしょ。
宿命として、管理者って一番強いわけよ。その強さでもってコミュニティを立ち行かせてもつまらんと思うの。私はね。彼はそれでも楽しいからやっているわけで、私がつまらんつまらんと騒いだところでどうにもなりませんねはいはいはい。
追記(1.20) 誤解なきよう付け加えておくと、禁止事項の羅列自体が失礼と言っているのではない(書かずにすむならそれに越したことはないと思うけど)。問題にしているのは書き方であります。

オアシスの活況はなぜ続いているか

いやもううちとはえらい違いで。
あれだけ利用者の多い掲示板となると、ノア関係者の目にも入ることがある(らしい)。そうすると「俺達の投稿がノアを変える」なんて勘違いを起こす連中が現れるわけだが、オアシスの管理者氏は「うちにそんな影響力はない」とピシャリ。自分のサイトがノアファンのメッカのようになっても変に驕ることなく、一ファンの立場から逸脱しないバランス感覚は誰にでも真似のできるものじゃない。
団体やレスラーに感想は言っても干渉はしない。投稿者に対しては、削除「する」か「しない」かだけでメンタル面には無闇に立ち入らない。そんな風に、自分の言動にきっちり線引きして守り続けていることが長続きの秘訣なのではなかろうか。

泣き寝入りの構造

ここでようやく2ちゃんねると重なる。よほど私は「泣き寝入り」という現象が気に入らないらしい。
私がオアシスに参加しないもうひとつの理由は、この掲示板の「泣き寝入りの構造」なのですよじゃじゃ〜ん。
といってもその仕組みは2ちゃんねるとはまったく違う。
(ここより1.25加筆)

3つの手段

国であれ会社であれ学校であれ家族であれ掲示板であれ、筋道を通さないやつが大きな顔のできる社会など私は御免だ。
そうしないための手段(スタイル)は3通り。

  1. そこに身を置く人達が話し合えること
  2. 権力者が独断で仕切ること(なおかつ処理が適切であること)
  3. 1,2の混合

1はミンシュシュギそのまんまと言いますか、まあ理想論。参加者の多い掲示板では不可能に近い。大抵は3になるだろう。
が、オアシスは2であることを管理者氏が明言している。参加者同士の話し合いによってものごとを解決させる気はない。(ついでに言えば、「筋道を通さないやつが大きな顔」をしても別にいいと思っているのかも知れない。)

傍証より体裁

ではその独裁者を自認するオアシス管理者氏の裁量はいかばかりか。
こんな傾向が顕著である。

  • 試合やレスラーへの文句には甘い。
  • 投稿者への文句には辛い。

管理者氏自身は「批判はいいが中傷はダメ」と言うが実際は選手への結構な中傷が放置されているように見える。
私の見たところでは、投稿者がノアを貶める目的で書いていたとしも、根拠らしきものを書いて「プロレス談義」の体裁を取っていれば大抵OK。そもそも何の目的で書いているかを証明する手立てはない。傍証がせいぜいである。オアシスでは、そうした曖昧なものを理由に削除はしない。つまり「傍証」よりも「体裁」が優先される。継続的に嫌がらせをするにはうってつけの削除基準ではないか。
一方、ノアを意図的に悪く書いている(としか思えない)やつに嫌味を書いたり矛盾を指摘したり罵倒したりすると、かなりの確率で削除される。個人攻撃の「体裁」を取っているからである。

行き着くところ

では参加者は特定の投稿者に不快な思いをし続けた時、どうすればいいのだろう。

  1. 我慢する(泣き寝入り)
  2. 文句を書く(→削除される→1へ)
  3. 離れの掲示板で話題にする(→削除基準の確認以外の成果なし→1へ)

つまりはそういうことなのだ。
諍いの元を全て断つのではなく、一方だけを断つことによって平穏が保たれているのである。では断たれた側の気持ちはどうなるのか。
答えは簡単、「嫌なら来るな」なのである。ルールにそう書いてある。
繰り返しになるが、泣き寝入りの構造を孕んだコミュニティ運営をするのも運営者本人の勝手である。2ちゃんねるのように犯罪行為まで野放しにするわけでなし、「良い・悪い」といった論評はここではすまい。ただ、私の美的感覚から言えば「美しくない」とだけ言っておこう。(とりあえず了 大幅加筆するかも)