2ちゃんねる・また

マスコミがこぞって2ちゃんねるの危機を報道!

となっていないあたり、今流れている情報もどこまで本当なのか判断に迷うところ。
ひろゆき氏の主張で最も気に入らないのはこれ。
「2Chで起こる犯罪は犯罪予告、風説の流布、名誉棄損くらいで、たいしたことない」
確かに新しいメディアが誕生すれば、それを使っての犯罪は必ず生まれる。だからといってメディアそのものを害悪視すればいいというものではないだろう。その意味では的を射てはいる。
「たいしたことない」という言葉に食ってかかるのはたやすいが、私が問題にしたいのは、ひろゆき氏のそうした「小の虫」を平気で殺すメンタリティではなく、2ちゃんねるの持つ泣き寝入りの構造。例えば、はっきり犯罪と呼べる書き込みであっても、訴訟を起こした場合、たとえ勝訴しても賠償金は小額で採算が合わないものが殆どだろう。「たいしたことない」からいいじゃん、ではなく「たいしたことない」から手も足も出ないわけだ。

追記1.14

コメント欄にて「既存メディアも裁判が割に合わないのは同じ」との指摘。言われてみればその通り。ここでは「誰でも気軽に(かなり安全に)違法行為が行える」という性質も併せて指摘すべきであった。

匿名性

「脛に傷持つ権力者」が2ちゃんねる消滅を望んでいるのは確かだろう。匿名性の高さゆえ多くの告発がなされている2ちゃんねるの存在は、権力者にとってさぞかし煙たいにちがいない。権力者の腐敗の監視機構として匿名掲示板ほど強力なものはあるまい。それでも私は2ちゃんねるを支持しない。
ひろゆき氏の本来志向する「完全匿名掲示板」というのは「何を書いても許される掲示板」ということ。法治国家で法の網の及ばない空間を大っぴらに認められたのではたまらない。(「良識に期待せよ」という論の矛盾は先だって指摘した通りである。)

功罪

2ちゃんねるによって人生を狂わされた人もいるだろう(→だから2ちゃんねるは消せ)。2ちゃんねるによって人生に光が射した人もいるだろう(→だから2ちゃんねるは消すな)。
ある時はプラスに働き、ある時はマイナスに働く。所詮それらは「結果」に過ぎない。結果だけでものを言ってもあまり意味がない。量のみを比べるな。構造的な欠陥を問え。

泣き寝入りの構造

たとえ勝訴しても金銭的なメリットが少ないのは先に述べた通り(しかもひろゆき氏は支払う気がない)。訴訟を起こすことによる二次被害2ちゃんねる支持者による嫌がらせ)については昨日述べた通り。
裁判所の「削除すれば無罪放免」とも解釈できる判決もいかがなものだろう。削除されるまでの間に受けた被害はどうなるのか。誰でも書き込みのできる掲示板で管理者にそこまで責を負わせるのは酷というなら、書き込んだ本人が責を負う、というわけには行かないのだろうか。法律のことはよくわからないが、どうも腑に落ちない。

削除ボランティア

削除を行っているのは「削除屋」「削除人」と呼ばれるボランティア。これがまたひどい。
たとえば顔写真掲載&個人情報暴露。街中で見知らぬ人に罵られるなど実害が出ているのに「後ろ暗いところがないなら別に困らないはず」とわけのわからない理由で削除要請に応じなかった、なんてことがあったらしい。
これが裁判沙汰になったかどうかは知らないが、あれほどの巨大サイトでこんなデタラメがまかり通るのだから怖ろしい。

2ちゃんねるは潰せ

とまでは言わない。だが潰れてもいいとは思う。
言論の自由がいかに大切なものであれ、今の2ちゃんねるの成り立ちは粗雑すぎる。
粗雑だから潰せ、でもいい。粗雑だから直せ、でもいい。
犯罪を防ぐ完璧なシステムなどあり得ない。だがひろゆき氏の基本姿勢は「野放し」。「削除屋」を擁し、IP開示を始めたのも、掲示板存続のため「仕方なく」したのに過ぎない。

人間・西村博之

どこかのサイトに「西村は無政府主義原理主義者」という意見もあるが、私はそうは思わない。彼は規制のない社会でどんな現象が起きるか「実験」してみたかっただけなのではないか。
数々の訴訟や賠償命令を無視し続けるのも、金が惜しいからというより「どこまで逃げ切れるか」というゲーム感覚のように思えてならない。
物欲、金銭欲が極端に少ないという評価は当たっていると思う。または当たっていたと思う。現在、ひろゆき氏の年収は1億円を超すという。実際に金が入って来るようになってから心境の変化があったのかどうか興味がある。久しぶりに彼の写真を見たら、ぬぼっとした以前の印象とはだいぶ違い、精悍さが加わっているように見えた。その精悍さが何を表しているかはわからない。


ここから色々読める。ちょっとアンチ2ちゃんねる色が強すぎる気はするが(お前が言うな)。
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_01/t2007011201.html