第6回:からだという本

穏やかな授業風景。前回の流れからすればこれは当然。
さて性教育である。
性教育のための人形を男女一緒になっていじってふざけるというのは今の傾向としてどうなんだろう。私の中学生当時は、男がその手の話題で盛り上がるのは女生徒のいない時であったし、女生徒がその手の話題を口にする場面というのは全く記憶にないから、少なくとも男のいる前では滅多に話題にしなかったように思う。
そして金八先生のお説教。性を真っ直ぐに語る先生と、真っ直ぐに受け止める生徒達。子供達の「照れ」の部分にもう少し寄り添った語りがあればリアリティが増すのではないかと、物足りなさを感じた。自慢じゃないが、私は性にまつわるセンセイの話にカンドーしたことはない。「あなたは何億分の一のエリートです」とか言われてもねえ。
私が学校で受けた性教育を思い出してみる。
小学生の時は学年集会みたいなので性の授業があったが内容はてんで理解していなかった。
中高生の頃もそう閉鎖的ではなかったように思うが、アンナコトしてコンナコトして受胎といった具体的なプロレスもといプロセスは(高校でさえも)ぼかされていた。今はどんな感じなのだろう。
そして校長である。七生養護学校性教育問題(東京都教育委員会から「不適切」として処分を受けた)に言及し、「私の評価を落とす魂胆か」と金八に詰め寄る。作者にはもとより教育者としての志を持つ人物として描く意思はないのかも知れない。それならそれで「立身出世しか頭にないクソ校長」として一貫して描いてもらいたいと思うが、今後どうなるだろう。
ただ、ああまで性への意識が偏狭な男を出してしまうと、物語中の議論に奥行きを持たせるのは難しいのではないか。
今後東京都のバカぶりをどう料理して行くか注目したい。

そして学校に怒鳴り込んで来た3B生徒の母親。これまたバカすぎるのだが、バカすぎる父兄は数多くいるのだろうし、実態をよく表してはいるのかも知れない。
そしてやくざに追われているシュウ。「今度の担任は話を聞いてくれそうだと思ったけど嫌われた。」いかにもありそうなすれ違い。もちろん褒め言葉である。

今シリーズで気になっていることがある。発達障害を抱える弥生(ヤヨ)。
言葉は悪いが、彼女は人畜無害に過ぎるのではないか。
例えば授業中に奇声を上げる、人の教科書を破く、食事中に食べ物を撒き散らす……そういった厄介な部分を持ちつつもクラスに適応し、またクラスも葛藤を経て彼女を受け入れるといった道程があってしかるべきだと思うのだが。