山本寛監督(39)、中村亮介監督(37)、伊藤智彦監督(34)による鼎談を読む。
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/anime/180240/
すまん、ひとりも知らない。みんな若いなあ。
少し前に「風立ちぬ」のことをブログに書いたが、この映画の何がいいと感じたのか今ひとつ説明し切れていない。そこでこの鼎談。中村氏のこの発言は、自分の感じていたことを幾分言い当ててくれているように思った。
何かを作るということに対しての、真摯でピュアな思い。逃げない、ごまかさないその思いが、映画から自然とこぼれ落ちて、にじみ出ている。美化するでもなく、茶化すでもなく、見栄を張るでもなく、気負うでもなくて。(中村亮介)
更に読み進めると、目に留まる発言は、どういうわけか中村氏のものばかり。
技術がすごい作品って、今までにももっとたくさんあったはずだと思うんですよ。宮崎さん自身の作品にも他人の作品にも。でも「風立ちぬ」はそういう次元の映画じゃなくて。なんだろう、ひとつの境地?というのかな。たとえば剣の道で、達人とはなにかって話で。でもこういう「道」の話って、剣にはありえても、まさかアニメの世界にありうるなんて想像もつかなかったんですよ。これが最後だから集大成というのは説明にもならなくて、技術的にはむしろ集大成じゃないし。ここ何作かが正直見ててしんどかったから、なぜ突然「風立ちぬ」みたいに吹っ切れたのかわからなくて、とまどってるんです。とまどいながらも喜ばしい、というか。
つまらない重箱の隅をつつくほど、あの映画の本質からは遠ざかる。自分が恥ずかしくなる。そういう作品なんだと思うんです。
ふと思った。「風立ちぬ」のわけのわからない魅力は、晩年のジャイアント馬場の魅力に似ている。
衰えた? 動きが遅い? 何を言っているんだ。あれこそがプロレスラーなんだよ。一体どこがって? 全部だよ全部。