今江祥智「どろんこ祭り」

今江祥智「どろんこ祭り」。小学校の教科書で読んだ人は多いだろう。今の教科書には載っていないけれど。
なんでも小学校の教科書に恋物語が載ったのは、これが初めてだったとか。
「せっちゃんはおきゃんで、まるで男の子みたい。それにくらべてうちのさぶちゃんはねえ……」という冒頭の文。そんな女の子と、そんな男の子の物語。

先に惚れたのはせっちゃん

初対面の時の、せっちゃんのすました挨拶。この時せっちゃんは、東京から来た、色白で繊細そうな、近所の男の子達とはちょっとちがうさぶちゃんをひと目で気に入った。はずである。
その日の晩、せっちゃんは布団の中で、どうすればあの男の子と仲良くなれるだろうかと心躍らせ、なかなか寝付けなかった。はずである。
翌日、早速遊びに誘ったのは、もちろんせっちゃんの方。一方的に、強引に。その作戦が図に当たり、引っ込み思案のさぶちゃんは言われるままについて行く。

序列への苛立ち

せっちゃんは、さぶちゃんと知り合う前より、もっと「おきゃん」になっていた。はずである。なぜなら、勝気な振る舞いこそが、さぶちゃんを自分のそばに繋ぎ止めておく最大の武器だから。
はじめはこの都会から来た男の子と友達になれたことが単純に嬉しかったせっちゃんだが、次第に、自分自身が作り上げた二人の序列に苛立ちを感じるようになって行った。はずである。
−さぶちゃん、おんしゃあ、げに気がよわいのう。
だが、いや、それゆえ、せっちゃんの「横暴」はエスカレートする。
せっちゃんは元来、ただ外で遊びまわることが好きな女の子であり、特別いたずら好きというわけではない。大人達の目に映るせっちゃんは「元気な子」であって「悪ガキ」ではなかった。はずである。
どろんこ祭りの日に、ある思い付きを実行したのは、単純ないたずら心からというよりも、気弱なさぶちゃんへの苛立ちから、彼を振り回してみたかったということの方が大きかった。はずである。

男たるもの

さてここでハプニング。いたずらがばれてへたり込むせっちゃんと、毅然となって手を差し伸べるさぶちゃん。序列が逆転した。
そして問題のくだり。
「そこではじめてふたりとも、男の子は男の子らしい、女の子は女の子らしいようすになることができたようだった。」
このあたりは問題視されても仕方がないだろう。小学生当時の私ですら「女の子が強くちゃいかんのか?」と生意気な疑問を持ったくらいである。男女差別に繋がるとの指摘を受け、この作品はある時期から教科書に載らなくなった。
だが生意気な小学生たる私の思いはというと、疑問を感じる一方で読後感はよかったし、気に入っていたのではないかと思う。

再会・再読

教科書で読んでから10年あまりが過ぎて、思いがけずこの作品と再会した。社会人になってから手に入れた全集(今江祥智の本)に収録されていたのだ。これが今江作品だということを、この時まで知らずにいた。(やはり教科書で読んで印象に残っていた「小さな青い馬」も同じ作者のものと後に判明。なんだ、小学生の頃からこの人の作品好きだったんじゃん。)
さて十数年ぶりに読んだ「どろんこ祭り」。やはりいい。当時の記憶以上にいい。そして、小学生の頃に感じた読後感の正体がわかった気がした。

さぶちゃんの成長、せっちゃんの解放

おどおどしていたさぶちゃんが、周囲の目をものともせず堂々と振る舞えた。いつもせっちゃんに引きずり回されていたさぶちゃんが、逆にせっちゃんの手を引いてあげた。そんな風になれた自分が嬉しい。有り体にいえば「成長」ですよ、これは。そこには「男の子らしく」といった注釈はいらない。
ではせっちゃんは? さぶちゃんの成長のためのダシか? ずっとさぶちゃんの「下」でおとなしくしていろと?
いやいやそうじゃない。
せっちゃんは、さぶちゃんの前ではいつも以上に突っ張っていた。そうして引きずり回す以外の接し方ができなかった。
だがさぶちゃんに弱さを見せてしまったことをきっかけに、せっちゃんはそうした突っ張りから「解放」された。なぜなら、自分の手を、さぶちゃんがさぶちゃんの意思で握ってくれたから。

新しい関係

芸能人の離婚会見ではありません。
ラストでふたりの序列は逆転した。では逆転したままふたりの仲が続くのかといったら、それはちがう。はずである。
さぶちゃんを引っ張る手をせっちゃんが緩めた時、逆にさぶちゃんが引っ張ってくれた。ようやく「綱引き」が成立したわけだ。
さぶちゃんがおとなしい男の子であることに変わりはないだろう。
せっちゃんがおきゃんな女の子であることにも変わりはないだろう。
だが、ちょっぴり自信をつけたさぶちゃんは、自分の意思をきちんとせっちゃんに伝えるようになるだろう。そして、さぶちゃんとの仲に安心を得たせっちゃんは、無闇にさぶちゃんを振り回そうとはしなくなるだろう。ちょっとかっこよく見えたさぶちゃんに一目置きもするにちがいない。たとえ傍目には「元通り」と映ったとしても。
「どろんこ祭り」は、男が強くなり、女が弱くなったからめでたしというものではなく、それぞれの成長と解放、そしてふたりの結び付きにおいてハッピーエンドの物語なのだ。