風立ちぬ

ジブリアニメを観に行ったのは2008年の「ポニョ」以来。5年ぶりだぁ。平日はすいてるなあ。30人も入ってなかったんじゃないか。
序盤、宮崎駿の自伝映画を観ているかのような錯覚に陥った。いやいや主人公が宮崎駿と似ていると感じたわけではない。一場面一場面の主人公の心のゆらめきとでもいうのか心のひだというのか、それが肌触りのように伝わって来るように感じられたのだ。主人公が宮崎駿にとって実際は赤の他人であることが、なんだか不思議に思えた。
その一瞬その一瞬から目が離せない。いい。実にいい。
ただ、ヒロインとの婚約成立以降は、若干覚めた目で物語を追うようになっていた。古めかしい悲恋――などと揶揄する気は毛頭ない。ただ、抱き合ったりチューしたりといった型にはまった場面に戸惑いを覚えたというのが、覚めた原因のひとつなのではないかと思う。
フーフなんだから「コナンとラナ」でもなかろうという分別でもって描いてしまっているように見えなくもない。あるいは、二人とも欧米("米"はちがうか?)の文化や芸術に傾倒しているという背景の表れとしてそのように描いたのだろうか。
私は描写そのものは一貫して「コナンとラナ」でよかったんじゃないかと思う。ラブストーリーでも絶対に「らぶシーン」を描かない今江祥智みたいな人だっているのだし。
それに、ヒロインとのあれこれの比重がああまで大きくなってしまうと、飛行機バカとして邁進する姿がどうしても霞んでしまう。国の行く末だとか軍の思惑からは、彼の心が遥か遠いところにあったのだということを描くならば、ヒロインの存在が不可欠なのはわかる。わかるけれども、どこかで物語のバランスがわずかに崩れてしまったように思える。
この映画はまたいつか観るだろう。その時にはまた違う感想を持つかも知れない。


ちなみにプロデューサーの鈴木敏夫氏によると、宮崎駿は「二郎とヒロイン菜穂子の出会いまでをあっという間に描いた」とか。確かにこのあたりまでの吸引力は尋常じゃない。すごいよ、ほんと。