今江祥智の三部作といえば

「そらまめうでて さてそこで」(1994年)

「魚だって恋をする」(2004年)

「桜桃(さくらんぼ)のみのるころ」(2009年)

そらまめうでて さてそこで

表紙、挿絵は長新太
ときは江戸時代。隠居の身となった武士が、どういうわけか板前を志す。
これは児童文学であろうか、それとも小説であろうか。
長新太による表紙絵や中の文字の大きさからはパッと見、児童文学。だが主役は爺さん。
平易で軽やかなのに密度の高い一文一文。小学生にも読めるだろうか。読めるだろうな。だがこれを10歳の時に読んだ読者が、20歳の時に再読したなら、この作品の味わい深さに大きな驚きを持つはずだ。30歳の時にまた読めば、更に発見があるはずだ。そして、まさしく「爺さん」と呼ばれる年齢になってから読んだとしても――。
準主役である孫娘の年齢は6〜11歳くらいまで。だがその描写の殆どは爺さんの目線。
でもまああえて対象年齢を設定するなら「10歳から」としておこうか。
その爺さんと孫娘の序盤での一場面。

さっきの歌のもんくをおもいだし、舞はおもわずふふふ……と、小さくわらってしまいました。
−おンや。なんぞおかしなことでもあったかの?
おじいさまはお茶をのむのをやめて、そうたずねました。
−はい、ございました。

引用が短すぎる気もするが――この会話の妙。タマランぞ今江文学。

魚だって恋をする

表紙、挿絵は同じく長新太
こちらは武士の息子「新太郎」が主人公。
剣の稽古中に出会った、前作の準主役「舞」との出会いやらなにやら。
稽古熱心で、我流ながらなかなかの腕前の新太郎だが、どうも舞の腕は自分より数段上らしいと気付く。その気付き方、気付かせ方がにくい。
姿を見せたと思ったら、すぐどっか行っちゃう、といった、ちょっとした振る舞いがいちいち新太郎を幻惑する。舞が実際に竹刀や木刀を握ることはまったくない。誰かを攻撃したりされたりもない。それなのに、舞にとてもかないそうにないということが新太郎にははっきりわかる。えいくそ。
「初恋もの」と紹介されることが多いが、未熟な自分を叱咤する「青春物語」ともいえる。それでいて徹頭徹尾軽妙に語られる物語。(余談だが、設定も雰囲気もまったくちがう「牧歌」を思い出したのは私だけだろうか。)
年齢は特に記されていないが、新太郎16歳、舞15歳といったところか。それじゃ対象年齢は16歳から。いや、これから訪れる青春時代の下見に読んだっていいのだから13歳くらいからか。
繊細で不器用、それでいて芯の強い少年。これまた今江文学の真骨頂。
つづく〜第3作〜