レッスン・スリー

24日のライブ後、四ツ谷の貸しスタジオに移動してファドレッスン。生徒は5人に増殖。更にポルトガル出身で日本在住の方がご見学。
課題曲は、今までレッスンを受けた「Loucura」と「Tudo isto e fado」。
「Loucura」は、入り方がわからずに硬直するようなことがなくなっただけ、まあ進歩したかな。発音も前回よりは意識しながら歌えてたかしらん。
以前、怪しげな曲解釈をブログに書いたが、その後私の解釈は変わった。その違いが今回の私の歌にはっきり表れていたはずである(うそ)。
「Tudo isto e fado」は、グループレッスンのきっかけとなった前々回に歌詞の読み込みをしただけなので、歌える範囲でざっと歌ってアドバイスを受けるに留まった。そのアドバイスを即実践できないのが私の偉大なところでもあるのだが。出だしで派手に音を外したのもしかり。
ところでこの曲にまつわる興味深い話を、講師の津森久美子さんが聞かせてくれた。
表面的な内容は、恋人(あるいは自分に思いを寄せる男性)に向けて、「ファドは私のすべてなの」とか語るというもの。女性にとって、その男がどんな存在なのかはいまいちわからない。ファドへの思いがあまりに深く、男は取り残され気味。
津森さんの話によれば、実はこの歌にはもうひとつの意味が込められていた。それは弾圧への抵抗。恋人に語る言葉という体裁を取りながら、ファドって本来こういうものだよなと、民衆に語りかけたのがこの歌なのだと。なるほど、「あなたは〜」とか言いながら「あなた」の存在がさっぱり浮き上がって来ないのも道理だ。
そうすると、あの優美なサビ。ファドによって心が解放されたその喜びを歌っているものと思っていたが、そればかりではない。サビの1回目はむしろ深く静かな「怒り」を湛えて歌うべし。それがこの歌の肝なのではなかろうか。
もちろん私の歌には反映されていない。むしろ私が歌うと周りが怒り出す。なんで?

私の音域

最も低いのはラくらい(→レッスン後はソまで出るようになってた)。
シ・ド・レ・ミは楽に出るが、ファで既に苦しい。
狭すぎだよ!
どうにか出るのはファ・ソ・ラ・シ・ドくらいまで。
ド・レ・ミしか使われていないファドってないですか。ないですね。