津森久美子 in 四ツ谷

19日。マヌエル四谷店にて。四ツ谷店でなく四谷店。
ファド好きの知人から、こんな話を聞かされたことがある。
「ファドは徹底した自己表現。人に聴かせようとして唄うものじゃない。」
それをファドハウスで唄う。矛盾しているようだが、なるほどと思う。これが全てのファディスタ共通のファド観であるかは知らないが、私には納得できる話だった。なぜなら、私がファドを聴く時は、「ファドとはなんぞや」ではなく、知らず知らずのうちに「このファディスタは何者なのか」という意識にさせられているから。
以上、前置き。

滑らかな声と歌唱による耳あたりのよさ、それが津森久美子のファドが与えがちな印象ではあった。ところが3ヶ月ぶりに聴く彼女の歌唱は、語弊のある言い方だが、ゴツゴツした骨っぽさをも感じさせた。無論、従来の持ち味はそのままに。
「骨っぽさ」を「存在感」と言い換えてもいい。立ち姿云々でなく、歌そのものがかもす存在感。それは彼女の「自己表現としてのファド」の深まりにほかならないのではないか。そんなことを思いながら聴いていた。