佐藤多佳子を読め

複数の作家による書き下ろし短編集「新潮現代童話館」を読んだのはもう15年も前のこと。全2巻。

新潮現代童話館〈1〉 (新潮文庫)

新潮現代童話館〈1〉 (新潮文庫)

第1巻の第1編が佐藤多佳子の「黄色い目の魚」。これがもう見事な傑作で、この作品集にはこれほどのレベルの作品がギッシリ収められているのかと胸を躍らせて読み進んだら、これが最高傑作でした。
今江祥智灰谷健次郎上野瞭舟崎克彦江國香織ほか錚々たる顔ぶれの中、初めて読む佐藤多佳子という作家のこの短編が抜きん出ていた。も少し慎重に言えば、これがもっとも印象に残った。
既に傑作と名高かった「サマータイム」という同じ作家の作品を、その後読んでみた。確かに心に残る作品だったが、「黄色い目の魚」ほどのインパクトは受けなかった。どちらが優れた作品かは置いといて、はじめに読んだ短編がそれだけ印象深かったということだ。
それほど注目していながら、以後この作家からはなんとなく遠ざかっていた。古本屋で見つけた「しゃべれども しゃべれども」も買ったまま何年も本棚で眠っている。「黄色い目の魚」が単行本として出版されたと聞いた時も、興味をそそられながらも「まあそのうち」と手に取ることはなかった。それを今年のはじめに古本屋で文庫版を入手。今日読了。
黄色い目の魚 (新潮文庫)

黄色い目の魚 (新潮文庫)

全9章の、長編と言うべきかな。第2章(という番号はない)として先の「黄色い目の魚」がほぼそのまま収録されている。ここは飛ばして読んだ。よい子は真似しないように。
元々は中学生の女の子が主人公の短編。そこに男の子が加わり、舞台は高校へと移る。男−女−男−女と主体を切り替えながら語られる。
男の子がいる。女の子がいる。だがこれを「恋愛もの」とは呼びたくない。俺が許さん。これは二人が「こんな風に」関わった物語、なのだ。わかったか。わからないか。でもそうなのだ。
脇役達の人間模様については、語られないままの部分が結構ある。あとがきに外伝を匂わす記述もあり、もしかしたら近い将来お目にかかれるかも知れない。

よくぞ言ってくれました

内容を詳しく書くわけには行かないけど、ある箇所から、読んでいて「そのまま」話を収めてほしくないと感じていた。こうすれば傷付きません傷付けません、こうすればうまく行きます、そんな分別の入り込む隙間のない「むき出し」の二人であってほしかった。
言っちゃうんだよ、このバカ。
よく言ったぞ、このバカ。
えらいぞ、このバカ。
佐藤多佳子を読め。いいから読め。