脳の話

能力的性差

何年か前にマダムの勧めで読んだ本。

著者はフェミニスト、ととりあえず大雑把に括っておく。
内容は面白い。いわゆる「やおい」を好む女性の心理を語る上で必読と言っていい。が、少なからず偏りが見られるのも事実。こんなくだりが印象に残っている。
男性社会が歪んだ女性観を蔓延させたという主張。まあ間違いではないのだろう。
「能力に男女差はない」という主張(だったかなあ。うろ覚え)。そんな主張があっても別にいい。だがその論拠のひとつがひどい。
「女性は事務処理に向いている」という男性の言い分に対して、「これは自信を持ってチガウと言える。なぜなら私自身が事務処理は苦手だからだ」。そういう問題じゃないだろう。そしてこうも言う。「女性は事務処理能力を“求められ続けた”だけである」と。そういう説は確かに成り立つが、同時に逆の理屈も成り立つわけで、鶏か卵かという堂々巡り。
能力があるなら男女の分け隔てなく扱えという言い分は筋が通っているが、「能力的性差はない」というのを根拠にするのは建設的でないように思う。容易に証明できる説ではないのだから。
そこで脳の話である。脳の構造から何が得意で何が苦手かという考察に興味がある。
以前、女性が9割以上という会社でアルバイトをしていたことがある。そこで感じたのは、目の前の仕事を段取りよく処理する能力はかなり優れているということ。男はとかく精神論に逃避しがちだが(そしてミスを繰り返す)、その会社の人達はいい意味で現実的。具体的に何をどうするかだけを口にする。
一方、大きな流れを作って組織を育てる、変革するといった発想は乏しいように感じられた。入って来る仕事をいかに効率よく正確にこなすかという視点から抜け出ることが殆どないようだった。
そういえば「ほら吹き」って大抵男のような気がする。男は何かを成さなきゃ安心できない生き物なのだろうか。男はロマンチスト、女は現実的って本当なのかな。私がロマンチストなのは誰もが認めるところだが。

余談

私はフェミニストの女性にあまりよいイメージを持ってはいない。主張の中身がどうこうではなく、そのコミュニケーション能力に見られる共通した傾向ゆえに。共通といっても、名の知れたほんの数名のフェミニストの文を読んだり酒席を共にしたりといった程度の限られたサンプル内でのことだけれど。
なにしろ切迫感がすごい。「聞いて!」「わかって!」という感情が常にあからさまなのに辟易する。
「それほどまでに女性は(私は)抑圧を受けているのだ。」
それはそうなんでしょう。そういう方向に想像力を働かせて話に耳を傾けるくらいのことはできる(人もいる)。だが面倒臭い。面倒臭くて聞く耳を持たなくなる人もいるだろう。つまりコミュニケーションに失敗する可能性が強い。
フェミニストはコミュニケーション下手」というのが私の抱くイメージ。と反発を恐れずに言ったら「全てのフェミニストがそうではない」と女性の反発を受けた。そうは言ってないのだが。