ふたりのフェミニスト

北原みのりという人がいる。ろくでなし子という人がいる。いずれもごく大雑把に「フェミニスト」と分類される人達だ。
北原氏の名は十数年前に知った。当時はその言説に対し「真っ当だけどヒステリック」「一理あるけど社会通念の逆方向に振れすぎ」といった感想を持っていた。
近年、政治の話でやたらとこの人の文を目にするようになった。こと政治に関しては、この人の意見に首をかしげることは皆無で、初めて知った当時とはだいぶ印象がちがっていた。
そこへ来てこの一文。

若い頃は女性器を表す四文字言葉を敢えて使うこともあったけど、男性器を表す赤ちゃん言葉を人前で言わないように、人前で使わなくなった。女性器の呼称を連呼せずとも、性を様々に、自由に、慎重に、だけど萎縮せずに語ることを、大切にしたいという思いが深まっている。
http://dot.asahi.com/wa/2016031000239.html

かつては私は、この人は「従来の社会通念の対局に立つことによって、古い価値観に一石を投じる人」と思っていた。そしてそこまでの人だろうとも思っていた(それでも充分すごいのだが)。
ところが上の一文は、極端に振れていた自らの立ち位置を、社会通念から逸脱せず、それでいて妥協もしないという絶妙の場所に修正していると感じさせるものだった。
そして同時にこの文は、ろくでなし子氏の言動に私が感じている疑問を言い当ててもくれている。
警視庁がろくでなし子氏を逮捕したのは完全におかしいと思う。しかしその一方で、彼女の言動の数々にも首をかしげたくなるものが多かった。そのことをずっとブログに書くつもりでいたのが延び延びになってしまった。断片的な草稿はずっとあるんだけどね。
北原氏の一文を目にして、書きかけの記事に再び着手しようかと思い始めている。が、思い始めましたということを表明してこの記事は終わる。本当に書くかどうかはわかりません。