ヘイトスピーチとカウンター4

バカ野郎と言ってもいいか

ヘイトスピーチのカウンター(旧しばき隊)や有田芳生氏の言い分を目にした時、私は掲示板でドンパチやっていた頃のあるやり取りを思い出した。
掲示板荒らしに何か言う時は、私は大抵理詰めで追い詰めるか変化球で皮肉を浴びせるかのどちらかだったが、あえて乱暴な言葉を使うこともあった。その辺のさじ加減が適切であったかどうかはさておき、荒い言葉遣いに対して批判的な人もいないではなかった。
「時としてそれもアリ」というスタンスの私に対して「それではニクシミの連鎖になるだけ」と、話はかみ合わない。確かに私の考えには「武力には武力」という思考につながりかねない危うさがあるという自覚はある。だが生の怒り(憎悪ではない)をぶつけることで、ぶつけられた側にとってはその怒りの源が何なのかを考え、学習する機会になり、それもひとつのコミュニケーションたり得ると思っている。無論それが筋の通らぬ怒りであったら迷惑なだけだが。
言語道断の振る舞いに対しては「なぜどのように悪いのか」といった論理立てた言葉よりも「バカ野郎」という怒号の方が雄弁なこともある。

ヘイトデモ中止in川崎(武蔵小杉)

ヤメロヤメロとシュプレヒコールを上げ、シットインでデモ隊の行く手を阻むカウンター。警察の暴力的な対応がなかったこともあり、ヘイトデモは主催者の判断で中止された。
歴史的な出来事に沸き返るカウンターに向け、挨拶をする桜本の母子の姿があった。この中学生の少年は、自分の母親(在日コリアン)が見知らぬ男に「死ね」と罵倒されるのをかつて目の当たりにしている。
そういうことをする連中に対して言うべき言葉は、まずは「バカ野郎」だろう。まずはね。そして、今もなおヘイトとカウンターの衝突を「どっちもどっち」と言わんばかりの論調で報じる産経新聞は決してバカではない。大バカである。