ヘイトスピーチとカウンター3

カウンターの受け取られ方

ヘイトスピーチの目的は嫌がらせ。カウンターの目的は、嫌がらせを止めること。
ところが、そのカウンターに対して「うるさい」「迷惑」といった声が上がる。これもひどい話だ。ヘイトスピーチで心を痛め付けられている人がいることよりも、単に「うるさい」という状況に苦情を言う無神経と無関心。
その一方では「しばき隊」からは暴行による逮捕者まで出ていた。我こそは正義という驕りがありはしないかという疑問も膨らんだ。
ところがある日、有田芳生氏が「しばき隊」を積極的に支持していると知った。詳しい記述は忘れたが、抜き差しならぬ現状では、ああした荒っぽいやり方も否定するわけには行かないといった主張をしていたように記憶している。
「たとえ自分(カウンター)に理があっても汚い言葉で罵倒するのはいけないよ」といった批判を安易にしてはいけないのかも知れない――と彼らへの評価は保留することにした。
その後、安田浩一というジャーナリストのコラムをネットで見付けて読みふけった。
「ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨ『ヨーゲン』(57歳)の哀しすぎる正体」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41046
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41047
このコラムで、李信恵(リ・シネ)という在日朝鮮人ライターを知った。ヨーゲンからネットで執拗な――という形容ではとても語りつくせないくらいの嫌がらせを受け(警察に相談するも立件できず)、また「保守速報」運営者や在特会を相手に訴訟を起こしている。
http://rensai.jp/author/rinda0818
この李信恵氏、ツイッターでしばき隊への感謝を繰り返し語っている。ヘイトスピーチの被害を実際に受けている人々の思いを前にすると、カウンター活動を論評することを躊躇せざるを得なかった。

カウンターの主張

「C.R.A.C」(旧「レイシストをしばき隊」)の主宰、野間易通氏の考えは、このインタビュー記事に詳しい。
http://lite-ra.com/2014/09/post-431.html
彼らはギャラリーの目を意識しなさすぎなのではないかという私の疑問は、野間氏のこの言葉によって否定された。

僕自身もね、ずっと逡巡していた。火に油をそそぐんじゃないか、(略)在日の人たちにとばっちりがいくかもしれない。いろんな迷いがあった。しばき隊を募集したとき、『迷惑だからやめてくれ』って言った在日の人も当然いたし。(略)しばき隊が最初ステルスだったのは、デモを刺激すると余計に混乱が起きると恐れていたからなんです。それらをふりきってカウンターをやる根性というか勇気というのは、当初はなかなか持てなかったんですよね。

そして「どっちもどっち」という言説を次のように批判。
「彼らはなんでも必要以上に相対的に見る癖がついている。」
ヘイトスピーチ対カウンターというのは“正義と正義のぶつかり合い”ではない。」
「“見せかけの公平さ”なんてものに意味はない。マイノリティを攻撃して差別し、排除しようとする在特会を叩くことこそが、社会的に見て“公正”であり公平さを重視した態度にきまっているでしょう。」
一方、インタビュアーはこう食い下がる。
「だがそれでも、ひとつの立場を絶対的な正義と位置づけることが危険性を孕むのは、歴史的に明らかだ。」
野間氏は「そうかもしらんけど」と理解を示しつつ、相対主義に陥る人々をこう鋭く批判する。私はこの言葉に大きく頷いた。
「自分はちょっと賢いぞ、と思ってるような、でも実際にはアホなやつらが、いろいろとこねくり回して『本当の正義などないのだ』みたいな、クソくだらない結論に至って悦に入る。」
「相対化」についてもあれこれ語ろうかと思っているが、ああなんかだいぶ筆が鈍って来た。

ヘイトスピーチとカウンター4
http://d.hatena.ne.jp/higeweb/20160605/1465141602