加藤博一「生き抜いた21年」

大洋ホエールズOB。スーパーカートリオの一人。

生き抜いた21年

生き抜いた21年

テスト生で西鉄ライオンズに入団した雑草型の選手。といっても実際には結構素質に恵まれた人だったのかも。

「肩もまあまあ、守備もまあまあ、足も速い、一番の売りはバッティング」という自己評価に違わぬオールラウンドプレイヤー。100m走のベストタイムは11秒2。これ、屋鋪クラスじゃん。

年齢が下の高木豊屋鋪要よりも一歩引いた存在だったけど、好きだったな。屋鋪は打撃にムラがあったし、豊は性格的にどうも、ね。

成績としては阪神時代の打率5位&盗塁数2位(1980年)がベストで、もっとも居心地のよかったチームも阪神だとか。

大洋では2番スタメンからチャンスでの代打へ、チャンスでの代打からチャンスメーカーとしての代打へ、果ては代打で送りバント、と徐々に脇役に追いやられて気力を維持できずに引退を決意したらしい。

当時の大洋、成績はともかく足の速い選手の多さはすごかったな。高木、加藤、遠藤、屋鋪の400mリレーは無敵だったし、屋鋪は100m走で必ず1位。シーズンオフの運動会だけ見たら黄金時代だった。