人はなぜ攻撃するのか

朝青龍が記事になれば「もう戻って来るな!」。
犯罪のニュースが流れれば「許せん!死刑にしろ!」。
といった体の日記がわんさか。そんな言い方しなさんなと言う前に、彼らはなぜこうも声高なのか、そこにずっと引っ掛かりを感じていた。
そんなに朝青龍が嫌いなら、なぜわざわざニュースを見るのか。
犯罪に対してそんなに憤ってるのなら、なぜ具体的な運動をしないのか。


要するに彼らが人を攻撃するのは、単純に「攻撃することが好き」だからだと私は思っている。
ストレス社会だからはけ口を、などともっともらしく言われもする。確かにストレスを受ければ心がささくれ立つ。攻撃すればすっきりする。でもねえ、ストレスなんてなくても人は日常的に「攻撃」を楽しんでいるではないですか。
たとえばテレビゲーム。モンスターを何百匹と倒しますな。たとえばテレビドラマ。「悪を討つ」という構図は今も生きてますな。たとえば将棋。戦争ごっこですな。たとえばスポーツやスポーツ観戦。野球、サッカー、格闘技と、プロスポーツの多くは相手を「攻撃」しますな。
人は、ストレスがあるからそれらを楽しむのか。ストレスが減ればやめてしまうのか。そんなことないっしょ。人間は攻撃が「好き」なんよ。


犯罪に対しては私も一応の憤りは持っているはずなのに、犯罪へ怒りをぶちまけた日記を読んだ時に覚える言いようのない嫌悪感。ソーダソーダと同調することへのためらい。それは多分、自分の攻撃本能もしくは攻撃願望を、犯罪への憤りに摩り替えて発散するという卑劣さへの嫌悪感なのだと思う。こんな連中は許せん!死刑にしろ!