柴田錬三郎「三国志」

もう何ヶ月も前だが全巻を読んだ。分厚い文庫5冊。

英雄ここにあり―三国志 (上) (講談社文庫)

英雄ここにあり―三国志 (上) (講談社文庫)

吉川三国志ではあまり描かれていない諸葛亮の死後にもかなりのページが割かれている。
その吉川三国志以上にエンターテイメントに徹しているという印象を受けた。

四尺の長髯を刃風に巻きあげて、青竜偃月刀を縦横むじんに斬り下げて行く関羽と、炬眼をひき剥いて、猛虎の咆哮するに似た懸声とともに、一丈八尺の蛇矛をうち振って行く張飛の魔人のごとき疾駆の勇姿は、血汐の瀑布を生んで、文字通り、無人の境を行くがごとくであった。

といった具合に殺戮の描写も痛ましさよりも爽快感を前面に出している。
60〜70年代作とあって、男女差別への配慮はナシ。すごいこと言ってます。

古人の教えるところに、次のような言葉がある。家臣は手足の如く、妻子は衣服の如し、と。衣服の破れたのは、つくろい、縫うことができる。しかし、手足を喪っては、もう生えては来ぬ。

そして、どんな意図があってか知らないが、原作にはない性描写が散見。リアリティの追及か、それともただの読者サービスか。いずれにしても場面としては浮いている気がした。劉備の濡れ場なぞ読みたくもない。
主役級の人物の心理描写に重きが置かれており、諸葛亮の苦闘を演出するために「馬玄」なる原作にない人物を登場させたりしているが、私は今ひとつ乗れなかった。
躍動感に満ちた大作・快作であることは間違いないのだが。