細かいヒト

知人の掲示板で知った中年男性のブログ。
不眠症らしく、早朝覚醒が常。起きた時刻の時計の写真を撮っていちいちブログに載せる。何につけても書くことが無駄に細かい。

エアコン修理

エアコンが故障して訪問修理を依頼。その後メーカーに送ったというメール全文をブログに掲載しているが、その内容たるや。
「何時にどこそこ所属の誰それが来た。何時間いた」
「充分に説明を受け、四方山話にも丁寧に答えていただき云々」
「貧乏暮らしのため氷入りミネラルウォーターしかお出しできなかった」
「強く勧めたところようやく飲んでくれた」
「喫煙者とのことなので煙草を何度も勧めたが固辞された。立派だと思う」
たかが水を出したことをいちいち報告。しかも「氷入り」とまで。そして水や煙草をしつこく勧めるというズレた行動。

交友

「ネット上の知人にメールを送った」なんてことまでいちいち書いているのだが、ご丁寧にその相手のサイトやブログへのリンクまで付けている。
返事を受け取ると、こうだ。
「○年以来のネット仲間からのメールが嬉しかった」(やはりリンクしている)
「会えるかもしれない」
「重いメールを書いた」
うぅ、なんか恋愛じみている。いや恋愛でもいいのだが、人物をしっかり特定して「会えるかも」なんて表現でブログに書くというこのセンス。
続き。
「○年の夏以来断っている酒が飲みたい。いや正確には、△年の大晦日の夕方、別居中の父と共に、缶ビール(アサヒスーパードライ)を250mlずつ飲んだっけ。」
こまかいっちゅうねん!

Amazon出品

手持ちの本やなにかを、「過去と決別するために」大量にAmazonに出品したそうな。
ところが、配達指定時間が守られない(といっても30分程度の遅延)といってはクレームを入れ、何度も宅配業者に電話を入れメールを入れ、「対応が最悪だ」と荒れまくる。しかも詫びの電話や訪問には居留守。対応が悪いと言ってはクレームを出し、相手が詫びようとすれば「侘びなどいらない」。
また、自分宛の宅急便が1日遅れて着いた時も、当然のごとくクレーム。「ミスでした」との説明に対して「なぜどのように誰がミスしたのか説明がなければ納得できない」と怒る。ミスはミスだろうに。
そしてAmazonでの購入者全員に送ったというメール。
「○年○月○日より出品者となりまして云々」こまかっ!
「持病を抱え、経済的にも厳しい生活を営んでおります。皆様からのフィードバックを心の支えとして、強く生き抜く所存であります。」売り手の生活事情なぞ知らんわ!
とどのつまりは「いい評価を下さいね」ということなのだろうけど、当然逆効果。買い手の評価がまったく付いていない。(追記:その後ぽつぽつと評価が付き始めた模様)

クレジットカード

ダメ元でクレジットカードを申し込んだら審査を通ってしまったらしい。それで「なぜ通ったか」をカード会社にわざわざ問い合わせている。なぜなんのために。


これら一連の言動は、かなり特殊と言わねばなるまい。単に「性格的なもの」で済まされるものとは考えにくい。

彼の行動が特殊であり病的でありはた迷惑であり、なによりも傍目には気味の悪いものだという自覚が、どうやらこの男性にはまったくない。医師の診察はずっと受けているようではあるが、こうした社会性については指摘してもらえていないのか、それとも聞く耳を持たないのか。
この男性は長いこと孤独なはずだ。当人としては「不当な扱いを受けている」という思いでいることだろうけれど、実はその「扱い」の大部分は自身の日々の言動のたまものにほかならない。本人がそのことに気付かない限り、ずっと孤独なままだろう。