はだしのゲンを読む

中沢啓治はだしのゲン」。子供の頃に全10巻中手許にあった5巻くらいまでを読み、続きはどこかでパラパラと眺めたことがある程度だった。

強烈な印象を受けはしたものの古さを感じさせる筆致だったこともあってか、「戦争の悲惨さを訴えた反戦漫画」という大雑把なくくりでもって捉え、取り立てて関心を持つこともずっとなかった。

ところがここ数年、ツイッターのタイムラインに、やたらとこの漫画の場面やらセリフが流れて来る。しかもそれは反戦という主旨ではなく、戦中戦後の日本人の振る舞いのおかしさを突く内容で、いちいちここ10年ほどの日本国民のありようと重なるものなのである。

この漫画への興味を新たにし、愛蔵版全3巻を手に入れて三十数年越しで読破するに至った。(最終ページに「第二部 完」とあるものの、続きの下描き原稿も遺されているとか。)

印象に残る言葉の引用は後日に回すとして、呉智英による巻末解説がどうにもモヤモヤさせられるものだった。

文中で呉は「稚拙な政治的言葉」という表現を執拗に使う。そしてこの作品を「不条理な運命に抗う民衆の記録」として「傑作」であるという。

イデオロギーとして正しいか否かと、傑作か否かは必ずしも一致しない、それはその通りだ。たとえば小学生のゲンに「天皇の戦争責任」といったセリフを言わせるのは、(内容には同意するが)物語からは浮いて見えなくもない。

だが、稚拙稚拙と繰り返す文面は、作中で語られるイデオロギーを否定したくて仕方がないのではないかと勘繰りたくなるような不自然さが感じられる。

この解説文は1996年の執筆。近年ネトウヨ化したと言われる呉智英だが、当時既にその兆しがあったということだろうか。

出版社も、右翼からの攻撃をかわすために右寄りの人に解説を書かせて「バランス」を取ろうとしたのかも知れない。