取り乱しちゃってます

週刊朝日による橋下徹氏への中傷記事。
橋下氏の怒りはもっともだと思うが、今回はその「怒り方」におやっと思った。
かつてはこの人の見せる「怒り」には多分に計算の匂いがあった。義憤であることをアピールして世間を味方につけんとするしたたかさと姑息さ。
しかし今回はとかく感情が先走り、事実誤認で「鬼畜集団」などと幼稚なボキャブラリーで罵倒したり、似た名前の出版社を誤爆したりと、空回りが目立つ。
囁かれ始めた橋下人気の陰りへの焦りだろうか。威勢のいい言葉に世間が喝采するといった雰囲気にはほど遠い。(このような彼の焦りを私が初めて強く感じたのは、5月のMBS記者への罵倒。あの映像は気分悪くなって半分も観られんかったよ……。)


そもそもここ数年の橋下人気の源は、政策などではなく、「敵」をこしらえて叩くという大衆心理を操る手法に過ぎなかった。
今回の騒動は完全に週刊朝日に非があると思うが、それに対する橋下氏の反応もまた「大衆」の心を彼から相当遠ざけたのではないか。支持から不支持に転ずるといった明確なものではなく、「期待感がなんとなく薄れた」という形で。
この「なんとなく」というのが、橋下徹という政治家の本質を象徴しているように思えてならない。「政策で人気を集め、不祥事で凋落する」のではなく、なんとなく人気を集め、なんとなく落ち目になって行く。


週刊朝日の記事は、出自によって当人やその血縁者までも侮辱するという悪質なものであったから、思うに橋下氏の怒りも「本物」の比率がかなり高かったのではないか。パフォーマンスとしての怒りでもって人気を集め、本物の怒りでもって人気を失うというのも皮肉な話だ。