拍手考

フライング拍手A

空を飛びながら拍手することではないので念のため。
曲が完全に鳴り終わる前に手を叩く、いわゆる「フライング拍手」。その何割かは義理の拍手だと私は思っている。「拍手してあげなきゃ」という意識が無駄に働き、あ、終わった、パチパチパチ、とやってしまう。別に演奏がつまんなきゃ拍手しなくていいのにね。しかしこれはまだいい方。

フライング拍手B

もっとたちが悪いのは、通ぶりをアピールしたくて「俺は曲の終りを知ってるぜ」と、終わるのを待ち構えて我先にと手を叩く手合い。私は見たことがないが、かなり多いらしい。「フライング拍手」で検索したら鳥越俊太郎という人のサイトが見付かった。曰く「どうもあの一瞬に賭けているバカなヤツがいる」。なるほど、音楽を聴くためでなく拍手をしたくてコンサートに行くわけですか。

正しい拍手

音楽にカンドーしたら無粋なタイミングで拍手は出まい。ワッと盛り上がりジャンッと終わる曲なら間髪入れず拍手が出るだろうし、そうでなければ余韻を噛み締めた後になるだろう。それが結果として「正しい拍手」として定着する、そういうものにちがいない。だからファドライブでの早いタイミングでの拍手もまた「正しい」のである。多分。しかし「正しい拍手」なるものを殊更意識するのもまた無粋であるのは言うまでもない。
そこで先日ライブでご一緒したジョアキン氏のブログである。私より遥か年上の人なのに普段散々な言葉を浴びせているのでたまには褒めておく。

お客さんも、ファドは初めてという人が大多数。妙に改まった雰囲気だった。おもしろかったのは、曲が終わっても弦の余韻が消えるまで、だれも拍手を始めなかったことだ。なんだか高尚な芸術音楽を聴いているようであった。本場なら、ギター類の最後のひとかきが終わるやいなや、どっと拍手が起きるところであろう。こちらも、いつ拍手を始めていいやら困った。あまり早いと、これみよがしで嫌みだし。演者とほかのお客との、三すくみ状態になってしまった。
http://dourado.weblog.pt/1728417/

「あまり早いと、これみよがしで嫌みだし。」
それですよそれ!
ファドライブでは、大概私が拍手をしようとした時はもう他の誰かが手を叩いているので気遣いはいらない。しかしこの日は違った。私以上に周囲が遅い。あれ、ひょっとしてまだまずい?なんて思ってしまう。要するに、誰かが口火を切るのを全員が待っていたわけ。
かくいう私は隣のジョアキン氏が口火を切るのを待っていた。この人、かなりのファド好き。ところが口火を切らないんだ、この人が! まったくアナタって人は頼りにならないんだからガミガミガミ。
じゃなくて、ジョアキン氏がいつもの調子で拍手をしたら、大多数のファド初心者を置き去りにしてしまう。言い換えれば、聴きに来た殆どの人に、自分を場違いな存在と感じさせてしまう、それを危惧してためらっていたというわけ。ましてやあの雰囲気で「ファディスタ!」なんて叫んだら完璧にバカです。
余談だが、だから私はライブで一部の客がミュージシャンに親しげに茶々を入れるような場面が好きではない。顔見知りの気安さでついつい何か言いたくなってしまうのか、または場を和まそうとして滑ったかだろうけど、ミュージシャンがそれに反応すると(反応せざるを得ませんわな)、他の客は無視されているような気がしてしまう。(その点松田美緒のライブでは、面白いオッサンの野次は飛ぶけれど、それで会場が分断されることはない。ああいうのを「野次師」というのだろう。)


つまりファドライブでの「正しい拍手」も、あの場においては正しくないのである。ファド通だらけのライブと、初心者ばかりのライブとでは、一体感のありようも異なるということだ。もしジョアキン氏がまるっきり「いつもの」拍手をしていたなら、彼一人が浮いてしまっていただろうし、私は他人のふりをしていただろう。(結局大して褒めとらんな。)
自然に拍手が湧き起こる、そんな客層ばかりとは限らない。そこでミュージシャンが公演をどう組み立てて行くか、なんてことを観察しながら聴くのもまた面白い。まかり間違っても「雰囲気作りに貢献しよう」などと考えてはいけない。