アンコール
- 海と旋律
- たとえ何があっても
- リスボン、海の貴婦人
- 未練のファド
(武蔵野公演のアンコールは上の2曲のみ)
気のせいだろうか、3日の武蔵野公演は理知的に聞こえ、7日の渋谷公演は熱を帯びて聞こえた。ドカンとツボに来たのは渋谷公演。4曲目「黄金の輝き」の後奏部でゾワゾワッとなって(唄ってる時じゃないのかよ!)、あとは音楽を陶然と浴び続けるのみ。
はて今までこんなことがあったろうかと記憶の糸を辿ると、そうか前回(2001年)の来日公演の初日がそんな感じだった。確か2曲目「希求(Oxala)」のイントロで異次元に(唄ってる時じゃないのかよ!)。
実は私はライブやコンサートで上の空になることが多い。身も蓋もない話だが、要するに音楽がそんなに好きじゃないのだろう。マドレデウスはやはり特別なのだ。
現メンバーによるマドレデウスの音楽は、「ムーヴメント」により極められた。以降発表された2枚のアルバムは、極められたその実力を注ぎ込んだ佳作群。新境地開拓を狙ったアルバムではないと思われ、そのレパートリーによる今回の公演は前回に比べて穏やかさを湛えたものだった。そしてそうした性質のコンサートとして、彼らは最上のものを見せてくれた。
mixiのマドレデウスコミュニティで、コンサート感想の最初の投稿が、期待していた高音がサラッと流されたの、あくびが出たのとしょうもない野暮天でゲンナリ。余韻に浸っている人、期待に胸を膨らませている人のことを考えたら、せめてツアーが終わってから書けよ。
私に言わせれば、テレーザの歌唱は「これ以外の唄い方はあり得ない」とさえ思えるほどの境地に達していた。歌としての、音楽としての深みに触れたなら、高音を伸ばそうが伸ばすまいが、スタイルの差異などまったく取るに足らないことなのだ。
声とは素材である。歌唱法とは調理法である。聴衆が味わうのは素材でもなければ調理法でもない。醤油ラーメンを差し出されたなら、醤油ラーメンとして存分に味わい、醤油ラーメンとしてのできばえを論ずればいいではないか。「味噌ラーメン食わせろ」と駄々をこねて一体どうする。
付記1:プログラム(パンフレット)
今回はなぜかプログラムの販売がなかった。あれも楽しみのひとつだったので残念。
付記2:BGM
渋谷でも開演前と休憩時間のBGMは「エレクトロニコ」。ボジョレー・ヌーボーの解禁パーティー(行ったことないけど)の乾杯前に去年のボジョレーを飲まされたみたいで、こればっかりはどうにも受け入れられなかった。2001年の公演ではバロック音楽だったがこれは悪くなかった。私は無音が一番だと思っているけれど。
ちなみに「エレクトロニコ」自体は嫌いではない。