渋谷公演

第一部
  1. おお喜びの光
  2. 夜の歌い手
  3. オリーヴ林――トロットとギャロップで通過
  4. 黄金の輝き
  5. やさしい悲しみ
  6. 時には
  7. かすかな光――魔法にかけられた歌
  8. ある銅像
第二部
  1. 無限の愛
  2. ここにいない言葉(あなたのそばで)
  3. 愛すべき街、リスボン
  4. たそがれに――わたしの愛はどこにいる?
  5. テージョ川の帆船たち
  6. 世界の不幸
  7. 息吹
  8. わたしはリスボンに住んでいる
アンコール
  1. 海と旋律
  2. たとえ何があっても
  3. リスボン、海の貴婦人
  4. 未練のファド

(武蔵野公演のアンコールは上の2曲のみ)


気のせいだろうか、3日の武蔵野公演は理知的に聞こえ、7日の渋谷公演は熱を帯びて聞こえた。ドカンとツボに来たのは渋谷公演。4曲目「黄金の輝き」の後奏部でゾワゾワッとなって(唄ってる時じゃないのかよ!)、あとは音楽を陶然と浴び続けるのみ。
はて今までこんなことがあったろうかと記憶の糸を辿ると、そうか前回(2001年)の来日公演の初日がそんな感じだった。確か2曲目「希求(Oxala)」のイントロで異次元に(唄ってる時じゃないのかよ!)。
実は私はライブやコンサートで上の空になることが多い。身も蓋もない話だが、要するに音楽がそんなに好きじゃないのだろう。マドレデウスはやはり特別なのだ。


現メンバーによるマドレデウスの音楽は、「ムーヴメント」により極められた。以降発表された2枚のアルバムは、極められたその実力を注ぎ込んだ佳作群。新境地開拓を狙ったアルバムではないと思われ、そのレパートリーによる今回の公演は前回に比べて穏やかさを湛えたものだった。そしてそうした性質のコンサートとして、彼らは最上のものを見せてくれた。
mixiマドレデウスコミュニティで、コンサート感想の最初の投稿が、期待していた高音がサラッと流されたの、あくびが出たのとしょうもない野暮天でゲンナリ。余韻に浸っている人、期待に胸を膨らませている人のことを考えたら、せめてツアーが終わってから書けよ。
私に言わせれば、テレーザの歌唱は「これ以外の唄い方はあり得ない」とさえ思えるほどの境地に達していた。歌としての、音楽としての深みに触れたなら、高音を伸ばそうが伸ばすまいが、スタイルの差異などまったく取るに足らないことなのだ。
声とは素材である。歌唱法とは調理法である。聴衆が味わうのは素材でもなければ調理法でもない。醤油ラーメンを差し出されたなら、醤油ラーメンとして存分に味わい、醤油ラーメンとしてのできばえを論ずればいいではないか。「味噌ラーメン食わせろ」と駄々をこねて一体どうする。

付記1:プログラム(パンフレット)

今回はなぜかプログラムの販売がなかった。あれも楽しみのひとつだったので残念。

付記2:BGM

渋谷でも開演前と休憩時間のBGMは「エレクトロニコ」。ボジョレー・ヌーボーの解禁パーティー(行ったことないけど)の乾杯前に去年のボジョレーを飲まされたみたいで、こればっかりはどうにも受け入れられなかった。2001年の公演ではバロック音楽だったがこれは悪くなかった。私は無音が一番だと思っているけれど。
ちなみに「エレクトロニコ」自体は嫌いではない。

付記3:筑紫哲也

トイレの前で筑紫哲也氏を見かける。