プロレスはインチキか2009-1

私のサイトに「プロレスはインチキか」というコラムがある。2001年9月に導入だけ書いて、その後さぼりにさぼってはや7年数ヶ月。
その間、プロレスに対する世間の目は大きく変わり、私の前髪はだいぶ減った。
世に言う「高橋本」。新日本プロレスの元レフェリー、ミスター高橋が書いた暴露本「流血の魔術 最強の演技」が2001年12月に出版された。「すべてのプロレスは、はじめから勝敗が決められている」と、その「内幕」を実際にプロレスに携わった人間によって仔細に綴られたこの本はファンに衝撃を与えた。みたい。
プロレス八百長説そのものは、そう新しいものではなく、私が生まれる前、力道山の時代から囁かれていた。
しかし多くのファンが「信じて」いたのもまた事実で、かくいう私も「プロレスってインチキでしょ」と見もしないで見下す連中に、むきになって食ってっかかるうっとうしい子供だった。いや、成人してもそうだったか。
私がネットの掲示板でプロレス談義をするようになったのは1998年。当時はまだ多くのファンが、声を枯らして贔屓の選手を「応援」していた。ビッグマッチ後の飲み会では、試合結果への嬉しさ悔しさをぶちまけ合っていた。
一方では、プロレスをすべて出来レースとして、その「ストーリー」を楽しむといった体のファンもいた。しかしオフィシャル掲示板にそうした投稿をする者は非難に晒された。21世紀になるかならないかの頃は、まだそういう時代だったのだ。


プロレス関係者で、高橋本に正面切って反論する者はいなかった。内幕を「暴露」された新日本プロレスも黙殺を貫いた。それが何を意味しているか。この本がファンや世間の目に与えた影響は小さくない。もはやプロレスが「八百長」かどうかをファンが喧々諤々やり合う光景は殆ど見られなくなった。
昨年、こんなことがあった。ある飲み会でピチピチギャルが「学生時代、プロレスってガチだと“思ってた”」と自嘲的に言うのである。彼女はプロレスファンではないし、プロレス関係の飲み会でもなかったが、なぜかそんな話題になった。
「ちょいとお嬢さん、そこに座んなさい。」
私は2時間にわたって説教した。というのはウソで、2万字ほどのプロレスへの思いは日本酒で飲み下して黙っていたが、高橋本の出版当時まだ社会人になったかどうかくらいの世代では、そういう感覚が当たり前なのかも知れないなと悲しくなった。加えて、格闘技にまるで興味のない人にまで「ガチ(ガチンコ)」などという隠語が知れ渡っていること、そしてそれが隠語であることすら知らないであろうことにも悲しくなった(隠語と知っていたらまず口にはしないだろう)。


私は「内幕は隠し通すべきだった」と言いたいわけではない。ミスター高橋のしたことは品性下劣だと思うが、たとえ彼が暴露本を書かなくても、早かれ遅かれ内幕は世間に知れていただろう。たまたま引き金を引いたのが彼だっただけのこと。
(「内幕」という言い方をしたが、高橋本の内容の信憑性も当然検証されるべきだろう。時系列から見て明らかに矛盾する箇所もあるというから、意図的に誇張した部分がないとは言い切れない。だからといって「プロレスは真剣勝負である!」と飛躍するわけにも行くまいが。)


さてこれはコラム再開宣言ではない。ただ、この空白期間に読んだ本や雑誌、あるいはネット上の記述など、プロレスの内情を推測する材料はかなり蓄積された。それらを整理したいという気持ちは持っており、ちまちまとブログに書き足して行こうかなと思い始めている。今時分興味を持つ者も殆どいまいが、書くのは私自身のためである。続きを書くのは明日かも知れないし10年後かも知れない。